志波城跡

盛岡市にある志波城跡を訪ねました。志波城は、780年に多賀城陥落の後、大和政権が満を持して、蝦夷の本拠地に築いた城柵です。大将は征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂。征夷大将軍という官職はここに始まります。802年阿弖流為降伏。803年造営だそうです。さすがに築城は戦勝後だったのね。

外郭南門。外郭は一辺 928 m という大規模なものです。外郭は全周ではありませんが、築地塀がかなり長く復元され威容を誇っています。これだけの規模で復元された遺跡も珍しいのではないでしょうか。

南門より政庁跡を望む。

築地塀の内側。

政庁跡。

山並みは築城当時と変わらないでしょうか。当時の人々に思いを馳せました。

城柵の威容は、蝦夷たちに大和の力を見せつけたことでしょう。もっとも同じ規模の多賀城が一度蝦夷に敗れ焼き払われているのですが。坂上田村麻呂は、蝦夷を片っ端からぶっ殺して進軍したわけではないようです。部族ごとに講話、帰順を促し、最後に残った阿弖流為もついに投降したということのようです。

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