●ふれあい祭に思うこと
おもえば、「電脳村ふれあい祭」は不思議な祭でした。 ボランティアともイベントともお祭りとも言い難く、 見知らぬ人が、パソコンネットワークをきっかけに人は集まり、 それが持つ限界と可能性をかいま見ることができました。
やりたいことができる自由な雰囲気があり、 その中で多くの人と出会い、世代を越えて交流し、様々な刺激を受け、それが心地よく、 また、何かができそうでわくわくしていた人がほとんどではないだろうかと思います。
今回の祭は、全くなにも無く、実行可能かどうかもあやしいところから、 全国から学生が集まるまでに大きくなりました。 そもそも最初に山田村に行った5人は就職活動中だったので、イベントを実行できるかどうかもあやしかったのです。
一つの物事がゼロから形になって行く様子、その課程で様々な能力を発揮していく人達、 成すこと会う人全てが目新しく、新鮮でした。
私が山田村にはじめて行ったのは、97年2月で、山田村はパソコンが政府に貸与されてから、 まだ1年も経っていない頃でした。新聞などからの前情報で、まだパソコンを箱から出していない 家がかなり多いなどと聞いていましたが、 それでもこのパソコンを使って、ホームページから特産物や地酒を販売してみよう、遠隔農園の 経営をやってみようなどと夢を描いている人たちの姿を見て、うれしくなったものです。
村の人は、過疎の進むこの村に対して漠然とした危機感を覚えながらも、生まれ育った 愛着のあるこの村をどうにかしようと思い、また自分の夢を描いて実現しようとする 様子にははっとするものが有りました。
そんな人たちといっしょに何かができたということは、喜びでしたし、 パソコンを通じて知り合った多くの人たちとの交流も驚きでした。
このようなイベントをつくると決めた 最初の頃は本当に出来るのかどうか心配でした。 しかし「できない」と思いこんでしまうと、可能性はゼロになってしまいます。 できると信じて、あきらめずに行動するならば、それは実現に近づいていきます。 そんな可能性を感じさせてくれるお祭りであったと思います。
●祭り後の交流
ふれあい祭が終わった後も、その交流は続き、毎月のように関西から東京圏へ、東京から関西へと、誰かがメンバーに会うために旅行しています。今度は山田村へスキーに行く予定も計画中です。
人との出会いを通して、可能性を感じ、行動することが、
ふれあい祭の原点なのだと強く感じました。