●医療福祉勉強会と福楽見学
ついにふれあい祭も山場を迎えた。朝から医療福祉の講演会がある。黒川
嬢のつてで、お招きした牧村先生(富山短期大学の先生)に福祉の基礎知識を得るために
地域福祉についてお話しいただいた。
福祉には興味があったが、正直言ってあまり知らなかった。挨拶できる地域環
境や、地域の住民が自発的に考え、動くことの重要性について学んだ。
阪神大震災後に助かる確率が高かったのは挨拶できる関係を築いていた地域だそうだ。
互いに心配して、安否を確認しあえる関係を築いていた所なのである。
地域に住むと言うことは、人間関係を築くと言うことが重要になるのだ。
正直言って、あまり地域について考えたことは無かった。大学や外に居る時間
の方が長いので、地域を考える機会があまりなかった。しばし、コミュニティー
のあり方に考えを巡らす。
そして、「福楽」という福祉施設の見学をする。また、遠隔医療機器「うらら」の見学をした。 この「うらら」という名前に思わずつっこみを入れたくなるのはともかくとして、 村の多くの老人には「うらら」が渡されている。それは高齢者が自宅でで脈や血圧をはかり、 その情報を電話回線をつうじて一カ所で管理し 、保健婦さんがそれを見て、村の老人の健康管理にあたっているのである。
午後からは長銀総研の福田さんによる、講演会と座談会。SVJ(祭をサポー
トするNGO)の主催となる。
カードに患者個人の情報をおさめ、情報が完全にコンピュータに管理され、
患者は待ち時間ゼロで診察を受け、薬を貰える体制で経営している病院や、
高齢者の家庭のポットに仕掛けをし、ポットをつかうと
電話回線で、遠隔地から高齢者の安否が伝わるシステムなどの
紹介をうけ、今後の医療福祉の形態についての展望を講演していただいた。
また、座談会では、遠隔医療では患者の精神的な面までサポートできるかということや、
パソコンネットワークの充実している山田村においてできることを模索しようと話し合った。
●地酒ワークショップ発表
山田村では「牛岳物産」がとてもおいしい地酒をつくっている。うまい水に上手い米が
あるのだから、おいしい酒を飲んでもらおうという発想でできた酒である。
それをホームページ上から販売できないかと考え、学生達が地酒販売のコンサルティングをしたのが、「地酒ワークショップ」である。
この酒を好んで飲みそうな世代やその味覚を調査し、どのように売りに出したら
注意をひくことができるか、ホームページ上の販売でも安心してお客さんに買って貰うことができるかを考えた。そしてメーリングリストで話し合ったり、ミーティングをひらいて話し合ってきた成果がここで発表された。
その後の活動はまだ続いているが、ここにきて問題が発覚!
その地酒は「雪の舞」という名前だったのだが、
すでに、他の人に「雪の舞」という酒は商標登録されており、使用できないことがわかる。
今は、懸賞やプレゼントなどを扱うページで、この地酒の名前の募集をしている。
不利を逆手に取り、今も活動は続いている。
この地酒のホームページはここ!
http://www.tky.threewebnet.or.jp/~gata/sake/index.html
●満天の空の「星空地酒パーティー」
そして、18:00から星空地酒パーティー。地酒ワークショップに参加
していたので、遅刻していく。牛岳ハイツの前の広場でおこなわれる。入場した
ら、まず、おいしい手料理と、のみたい放題のドリンクではじまる。
星空のもとでみんな思い思いに話しをしたり、飲み過ぎて地面にうつ伏せになったり、
倒れたりしていた。
どこにこんなに人がいたの?ってくらい集まっていた。
司会を務めていた赤城さんは関学のOGであった。ステージでは思い思いに 人が呼び出され、自己紹介をさせられていた。むろん関学生である私たち、石井、黒川、 鈴木、内田、吉崎、八十原も呼び出された。ふれあい祭参加メンバーは関西では 関学生が多いのである。関東では早稲田が多い。その後早稲田なども呼び出さ れ、校歌を怒鳴るように歌っていた。うるさい・・・・
宴もたけなわの頃、突然、照明が消える。空を見上げると満天の星だった。
天の川がみえた。とても空を近く感じた。
宿に帰ってしばらくしてから、村の若い人たちがやってきた。階段の下で
みんなでお酒を飲んでかなり騒いでいた。私もお話ししたかったが、仕事が残っ
ていたので、参加できず。
村の人ふれあい祭に対する反応が気になる。私たちのやっていることは
かえって村を荒らすことになってはいないだろうか。
●「中学親子と交流奉仕」に遅刻!
この日は8:00から「中学生親子と交流奉仕」だった。
目覚めたのは8:30だった・・・・。遅刻だ遅刻だ。星空地酒パーティーで飲んだくれ
た私たちは、おきることができなかったのだ。
「わんぱくふれあいレクリエーション」に行くメンバーを放送でたたき起こし
て、送り出す。交流奉仕は間に合わないのでお詫びに行こうと思ってメンバーを
召集していたら、電話がかかってきた。交流奉仕の後、ソフトバレーボールで交
流をはかる予定だったらしい。村の方が玄関にわざわざお迎えまで来た。恐縮して、
体育館にいく。そしたら、私たちをみんながずらっと体育座りをして待っていた。
トホホって感じだった。
●今日のお助け隊
この日のお助け隊は米澤さんと一緒だった。しかも、読売新聞の取材も一 緒だった。これで、取材と同行するのは2回目。米澤さんはかなりパソコンのこ とが分かるらしく、てきぱきと教えていた。てきぱき進むあまり、初心者の私はまぬけな質問で 口をはさむ暇がなく、子供もいなかったので、やることが見つからない。できないということは悲しい。 仮にも我が家にはパソコンはある。勉強しようとしみじみ思う。 そこに恐ろしいような睡魔が押し寄せてきた。ヨコにいる読売新聞の取材の方と 話しながら、しばし意識が飛んだ(笑)私は何を話したのだろう。 これは疲れているから仕方なかったんだ。そうに違いないんだ・・・
●「祭りまとめパーティー」とリッツ
そして、「祭りまとめのパーティー」がある。レストラン「グリューネブルク」で学
生、SVJ、その他の取材陣などで、おこなわれる。みんな思い思いにしゃべったり、
食べたりする。
村の方がリッツを持ってきて、うれしそうに「どれか好きなの取って」というので取っ
て食べたが、普通のリッツだった。突如ヨコの人の顔色が変わった。
村の人は張り切ってショウガバージョンなど次々生産し、いきいきしていた・・・
●最後の関門「牛岳登山」
そして、まだみんなが寝付かぬうちに、「早朝牛岳登山」が始まる。夜の2:3
0に集合だ。山登りはひさしぶり。山登りは苦手で、疲れも溜まってきていたの
で結構しんどかった。足下はさっぱり見えず、しかもちょっとぬかるんでいた。
やっぱり滑って転んだ。もーへろへろである。
ふと。気づけば夜も明けていた。
そして、頂上で食べたおみそ汁と、おにぎりはとってもおいしかった。
そして宿に戻る。この日は牛岳登山だけ。この日に結構いろいろな人が帰っ ていった。名残を惜しんで帰る。だんだんさみしくなり、残されるのは嫌だと感 じる。
●帰宅する日
ほんの5名くらいを後に残して、この日に私は帰る。 そのまえに掃除。ひたすら掃除。連日の徹夜で風邪が進行し、結構しんどい。 すっかり寂しくなった寮をあとに関西へと向かう。最盛期には60名以上暮らしていた とは思えない静けさだった。 岩杉さん、福楽の方などに挨拶をしてから帰る。 車ではもうろうとしながらずっと寝ていて何も覚えていない。