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エントリー

2002年7月30日

北日本新聞 2002年7月30日 火曜日

ちょっとひと言 今月のテーマ スタミナ源

山田村ふれあい青空市スタッフ 石橋 修 さん

 毎週土、日曜日に開かれる市に妻と子供二人とともに店頭に立ち、新鮮野菜や村特産品を販売する。本業は内科医。三年前にインターネットでの交流が縁で、東京から村に移住した(東京出身だが山田村の前は高岡市在住)。「素朴で親切な人柄に魅せられた。素晴らしい場所です」
 近所のお年寄りから手ほどきを受け、家庭菜園を始めた。市にもズッキーニなどを出荷する。「自分で作った野菜を味わう気分は最高。食べると体力気力ともに満たされます」と笑顔を見せる。

投稿者 webmaster : 09:01 | コメント (0)

2001年3月19日

ABC News "World News Tonight" March 19, 2001

Wired and Wonderful
The Web Brings New Life to a Japanese Village

By Mark Litke

The Internet has given the mountain village of Yamada, Japan, a new lease on life.

Y A M A D A, Japan, March 19 -- The small, remote village of Yamada is hardly where you would expect to find cutting-edge technology. But the farmers and pensioners who live here claim to have the most wired community in Japan.

Thanks to a few technophiles and a government grant, nearly every home, school and office in Yamada is linked by high-speed lines and video conferencing. It's all connected through the village's central server -- a cyber version of a town square.

Nobu Tanaka, 83, used to have trouble changing channels on his television set. Now he has his own Web page and chats with friends and neighbors via his Web video phone. He even uses the Web for medical purposes, sending his blood pressure and vital signs to his doctor via computer.

Villagers can manage their businesses, improve their education, gossip with their neighbors, and fight off loneliness during the long winters. The most popular village event this winter was weekly sessions on Web site construction.

New Lease on Life

What's remarkable is how the connectivity has revived the village's fortunes. A few years ago, Yamada's future seemed bleak. As in many rural areas in Japan, most of the village's young people were moving away for better opportunities, leaving only the elderly.

Now Yamada's elementary school is one of the most high-tech classrooms in the country. The Web-savvy 9- and 10-year-olds say they can't imagine ever wanting to leave.

For the first time in decades, Yamada's population has stopped declining, and outsiders are moving in.

One family, the Tshibashis (Ishibashis), moved to the village after two years in the United States. The Tshibashis (Ishibashis) arranged for their new home through Yamada Web sites, where they also made new friends and got involved with village life, well before they arrived.

投稿者 webmaster : 08:46

2001年3月 1日

年金と住宅 3月号

◆特集◆ いよいよ21世紀 IT革命がやってきた!

特集3 地域情報化への挑戦

インターネットが縁で村外から移住

石橋律子さんは、操作に不慣れな村民にパソコンを教える「お助け部隊」の一員
「お助け隊」参加は夫の修でした

 石橋修・律子さん夫妻は、1999年3月、インターネットが縁で、家族四人で山田村へIターンした。2000年1月には、村に新居が完成し引っ越した。
 医師の石橋修さん(43歳)は、93年から2年半、アメリカのボストンで研究生活を送ったあと、95年から現在まで高岡市内の病院に勤務している。通勤時間は車で約30分と、豊かな自然の中で便利な生活を満喫している。
 「mlyamadaというメーリングリスト(ML)での交流がなかったら、村に住むことはなかったでしょうね。専業主婦の場合、自分の意見を聞いてほしくてもなかなか聞いてもらう機会がなかっただけに、小さなこととはいえ、自分の発言に反応していただけたのはうれしかったですね」と律子さん(39歳)。
 そして97年7月、全国から学生が集まりパソコン操作法を教えつつ交流する「電脳村ふれあい祭」に参加。初心者の村民にパソコンを教える「お助け部隊」の一員になった(「お助け隊」参加は98年)。98年春からは、谷上健次さんらがMLに呼びかけた「ふれあい農園」に参加するようになった。
 村民との交流を深めるにつれて、山田村の人情豊かな土地柄とその自然に魅せられ、山田村への定住を決めた。移住の希望、住まい探しなどでは、電子メールを通じたやりとりで、村民が温かくサポートしてくれたという。
 石橋さんのホームページでは、自らを「半農半医」と呼び、山や川でのびのび遊ぶ二人のこどもたちの様子が紹介されている。
 石橋さん夫妻は、山田村の豊かな自然環境を活かしたかたちで、農業を主体としたベンチャービジネスを始める若い人が育つことに期待を寄せる。また、山田村に自分たちのように移住する人が増えることを希望する。でも、「村の人間になりきる覚悟は持っていただきたいですね。別荘感覚で来るのだけはやめてほしい」という。

投稿者 webmaster : 08:33 | コメント (0)

2001年2月 1日

内閣府インフォマーシャル

今さら人に聞けない... 大人のためのIT講座

(以下石橋家の出演部分のみ)

真紀ちゃん7歳、今パソコンでお勉強中です。ここは富山県山田村、村が希望する全世帯にパソコンを配ったという電脳村です。石橋さん一家、御主人の修さんは今やパソコンは無くてはならない存在だと言います。
修「自然に囲まれた生活も、パソコンがあればとっても便利ですよ。」
奥さんの律子さんはメール交換に利用。インターネットでのお買い物も楽しんでいます。
律子「家にいても世界の色んなものが購入できるんですよ。」
山田村では、全世帯を超高速の光ファイバーで結ぶ計画をたてています。
健一「光ファイバーになれば動画を使ったページを作りたいです。」
...

投稿者 webmaster : 00:41 | コメント (0)

2001年1月31日

外務省海外広報課企画 Japan Video Topics 2001年1月号

Cyber Town in the Snow

Deep in the mountains 300 killometers northwest of Tokyo, the agricultural village of Yamada-mura rests some good blanket of snow. During winter heavy snow fall leaves the 2000 residents with a lot of time on their hands. However, these days their idle hands are busy operating computers. Almost all the households are now part of the local area network. When the junior high school requested an Internet connection in 1995, the village applied to join the new government program. The following year a computer network was installed throughout the village to study the benefits include communications upon the lives of the residents. The telecomunications controlled with the information center is the heart of the village's information network.

Almost no one had touched a computer before they were distributed in the village. Hiwako Tajima is one those who had never used a computer before. She has expaned her circle of friends through e-mail.
"I've learned enough to exchange e-mail. As I imagined, it's a lot of fun."
One of Hiwako's e-mail pals is 83-year-old Nobutsune Tanaka, the oldest computer user in the village.
"I look foward to see if I receive replies to my e-mail messages!"
Twice each month he attends computer class. The teachers are local volunteers many of whom are beginners. However, the students find it's easier to ask questions to people they are familiar with. Today some people can even make their own web sites. Kumiko Kawaguchi is one of these novice volunteer teachers, the computer fascinator.
"The computer has motivated me to keep in touch with the others in the village."

Some people have started using their computers in their work. Fusa Tanaka uses hers to make annoucements and other documents related to her beauty shop... Fusa likes the computer so much. She's even making her own web site.
"I've received e-mail from people I don't know who saw my web site. So I've made various friends outside the village."

Yamada-mura elementary school has about 100 students. The school hopes to, by communicating the other schools through the Internet, students will gain a broad aspect of life outside of their village.

Elderly residents' blood pressure and heart rate data can be remotely monitored. The public health nurse of the village office regularly checks the data. Cameras mounted on top of the computers provide a video phone function to allow face-to-face consultation.

This high-tech village has even attracted some new residents from the big city. The Ishibashi family were interested in giving high-tech country life at try. They say that life in Yamada-mura is very pleasant.
"I can shop on the Internet so I don't feel inconvenience living here."

Technology is bringing people together and providing new forms of communication for remote communities like Yamada-mura.

投稿者 webmaster : 00:17

2001年1月 4日

讀賣新聞富山版 2001年1月4日 木曜日

連載:ITちゃなにけ--山田村うおっちんぐ

(3)移住者呼ぶ メール交流

山田村中村の医師、石橋修さん(43)は、休日には<百姓>になる。

 一九九九年三月、家族四人で村に引っ越して来て以来、理想だった“半農半医”の暮らしを楽しんでいる。

 「メーリングリストでの交流がなかったら、村に住むことはなかったでしょうね」
 村の情報化が、初のIターンとして実を結んだ。

   @   @

 石橋さんは東京生まれ。妻、律子さん(39)は滋賀県出身。九三年から二年半、米・ボストンのジョスリン糖尿病センターで研究生活の後、九五年から現在まで高岡市内の病院に勤務。ここに来る前は同市内に住んでいた。

 オフロードバイクで、ぶらりと村を訪れたことはあったが、情報化は「田舎だから騒がれている」程度にしか思っていなかった。が、村のことが書かれた本を読んで、興味を持つようになった。

 九七年七月、全国から学生が集まる「電脳村ふれあい祭り」のMLに加わり、祭りに参加。初心者にパソコンを教える「お助け部隊」の一員になった。

 翌九八年春からは、清水地区の農業、谷上健次さん(52)らがMLに呼びかけた「ふれあい農園」にちょくちょく顔を出すようになった。家族で農作業に汗を流し、作物の成長を喜んだ。親切な村の人たちの人情もうれしかった。

 人ごみより田舎がいい。子供は自然の中で伸び伸びと育てたい--。夫婦で描いていた理想の暮らしの扉を、インターネットと、「人情」が開いてくれた。

 移住の希望、住まい探し……。電子メールを通じたやりとりで、村民が温かくサポートしてくれた。

   @   @

 「近所のお年寄りは、野菜作りの先生。子供たちにとっては、みんな自分のおじいちゃん、おばあちゃんなんです」と石橋さんは笑う。長男の健一君(11)も、「花粉症が治まったし、友達もいっぱい出来た」と元気だ。

 そんな暮らしに入って一年半。律子さんは、「今はインターネットで買い物も自由に出来るし、不便な感じはしませんよ」と言う。

 石橋さんは、大好きになった山田村に、自分のように移住する人が増えればいい、と思っている。でも、こうも思う。

 「村の人間になりきる覚悟は必要。別荘感覚で来るのだけはやめて欲しい」

 作務衣(さむえ)姿が、すっかり板についていた。(柳瀬 裕之)

中央と地方 関係が逆転

 「インターネットが普及すれば、中央と地方の関係が逆転します。過疎地でも仕事や買い物、銀行決済などが都会と同じように出来れるようになり、自然環境や人間性の豊かな田舎に住みたいと考える人が増えるでしょう。都市の文化が地方に入ってくれば、しばらくはあつれきもあるでしょうが、結果的には、村の共同体を活性化することにつながります。現実世界の変容こそが、本当のIT革命です」
@奥野卓司・関西学院大社会学部教授(情報人類学)

投稿者 webmaster : 23:59 | コメント (0)

2001年1月 1日

北日本新聞 2001年1月1日 月曜日

電脳やまだ村はいま 1人1台生活に根付く

石橋さん一家 2年前 I ターン「都市と差ない」

家族一人ひとりが個人のパソコンを所有する石橋さん一家。
健一君のパソコンを改造する修さん=山田村中村

 家のすぐそばを山田川が流れ、周囲は田畑が広がる。石橋修さん(43)の一家=中村=は昨年1月、この地に構えた新居に引っ越した。木をふんだんに使った内装は温かみあふれ、居間にあるいろりは心を和ませる。だが、部屋では”電脳生活”が繰り広げられていた。
 いろりのすぐそばにはDVDプレーヤーをはじめとした音響機器がずらり。天井付近にはプロジェクターが設置され、窓のそばのスクリーンを下ろせば、DVDソフトの美しいデジタル映像が楽しめる。休日は家族で出掛け、思い出の一枚はデジタルカメラで撮影する。
 妻の律子さん(39)と長男の健一君(11)=山田小5年、長女真紀ちゃん(7つ)=同小2年=の四人家族で、一人ひとりがパソコンを持つ。それぞれのパソコンは家庭内LANで結ばれている。
 勤務医の修さんは仕事に、律子さんは友人とのメール交換などに利用。小学校から運動会や学習発表会などの催し案内が送られてくるため、メールチェックは日課になっている。昨秋念願のメールアドレスを手に入れ「村の人たちと早くメール交換をしたい」と張り切る健一君、真紀ちゃんはようやくパソコンに慣れてきた。
 インターネットを通じた商品購入も定着し「DVDプレーヤーやソフト、主人のパソコンはネットを通じて購入した」と律子さんが明かす。「(CDやDVDの)単品は近くの店、まとめ買いは送料を払ってでも(海外の)ネット通販を利用した方がお得ですよ」とさすが主婦らしい。
 滋賀県や米国で生活した経験のある石橋さん夫婦は二年前に同村へ I ターンした。「ここでの生活に不自由さは感じない。むしろ豊かな自然を楽しんでいます。パソコンがあればどこに住んでも同じ」と笑顔を見せる。
 山間地ながら都市との地域格差をなくし、過疎対策にもつながっている山田村。”パソコン村”の村民はきょうも生き生きとしている。

投稿者 webmaster : 23:51 | コメント (0)

2000年2月 1日

潮 平成12年2月号 第492号

富山県山田村パソコン全戸配布の「成果」。

四年前「電脳村」として一躍名を馳せた過疎の村はどう変わったのか。

(以下石橋家に関わる部分のみ)

...
「情報化」という名の「故郷を守る闘い」
率直にぶちまけると、私は山田村を実際に訪れるまでは、新聞や雑誌のそれまでの報道を読んで、村の「情報化」について眉に唾を付ける思いがした。大枚はたいて全戸にパソコンを無料配布とは、典型的な「バラマキ行政」ではないのか。全国に名前を知られたり、村民が年賀状をつくれるようになったとはいえ、それが三億円の費用対効果に見合うことなのか。しかし訪れたあと、それは自分が都市にすんでいるから、考えるのではないかと思うようになった。

「たしかに山田村の情報化が成功したかと聞かれると、私にはわかりません。産業が起きたり雇用を生むという、経済効果の裏付けはまだありませんからね。でも情報化の効果をそれだけで計ってよいものか」
と、山田村から高岡市内に勤務医として通う、石橋修さん(42)は、私に疑問を投げ返した。

石橋さんはインターネットで山田村の存在を知り、家族四人で九九年春に外からここへ引っ越してきた I ターン組一号である。今も人口が減少している村からすれば、格好のアピールとなる希望の星であり、都市生活者からすれば誰でも一度は夢見る「田舎暮らし」を実践している憧れの人でもある。石橋さんのホームページでは自らを「半農半医」と呼び、山や川でのびのび遊ぶ二人の子どもたちの様子が紹介されている。
「村の人からすれば、パソコンが来なければただの過疎村が、前向きな気持ちで『山田村に住んでいるんだぞ』と声を大きくして言えるようになったのは大事だと思うんですよ」
それは、計量化しにくい、外部から見えにくい「成果」である。だが実際に山田村に来て、住民との会話を重ねるうちに具体的な手応えと感じるのだ。...

投稿者 webmaster : 01:07 | コメント (0)

1999年7月 8日

チューリップテレビ 平成11年7月8日木曜日 午後6時30分

ニュースの森 富山みどり白書

里山をとりもどせ! 里山復元へ I ターン

次は「富山みどり白書」です。今月から「里山のある環境」をキーワードにお伝えしております。
里山の環境を考える上で重要な要素である水田や畑は、高齢化や後継者不足で耕作を休止するところが増えています。
そこで注目されるのが農村に I ターンし、新たに農業に携わる人達です。

高岡市内で勤務医をしている石橋修さんは、今年3月山田村に一家で I ターンして来ました。仕事が早く終わった日や休日には、家族そろってあるところに出掛けます。着いたところは村内にある共同農園です。この農園は一昨年全国から学生が集まったイベントをきっかけに作られたもので、トウモロコシや大豆などが植えられ、常時10人位で世話をしています。

農作業慣れましたか?
そうですね、まあ素人で始めたばっかりですから、まだまだですわ。
(除草剤なんかは使わず子供に安心?)
お金取って出荷するような効率を求める仕事じゃないですから、まその辺は、あの除草剤でやるとかそういうことでなしにもう全部手でむしってね。...子どものその、クスリの心配ですか?そういうのは一切無しですね。農薬も除草剤も使ってないですからね。

石橋さんは東京の出身で2年半程アメリカのボストンに滞在したこともあり、富山とは全く縁がありませんでした。4年程前仕事の都合で高岡市内に引っ越したあと、インターネットが取り持つ縁でふれあい農園に参加。交流を深めるにつれて山田村の人情豊かな土地柄とその自然に魅せられ、今年3月に村に引っ越して来ました。

(定年帰農じゃない?)
世間一般ではそうじゃなくて仰る通りねえ、あの、定年して、もう子供も独立したし、もう仕事もそんな、あの、町ん中通わなくても良くなったんで、あの、田舎に行こうかとかねえ、あの、畑始めようかとかっていう言い方が多いと思うんですけども、あのー...町の中で子供を育てていくのがどうか、っていうことですわね。
(子供達はカエルも平気でしたね)
高岡にいる頃はそれこそ、ああ、カエルだ、といったら本当に、あの、珍しい、という感じでしたもんね。...もうここは、あの、カエルの掴み放題ですからね。ええ、そういう面ではやはり、あの、カエルでもミミズでもお友達、という。

里山の環境を考える上で、水田や畑は重要な要素です。かつては人の住む場所に最も近い自然であり、様々な生き物が住む一種の「ビオトープ(生物が生息しやすい空間)」の役割を果たしていました。しかし高齢化や後継者不足などから休耕した田や畑が増える傾向にあります。そうした現状を解決する一つの方法が県外からの I ターンです。しかし県内の農村では受け入れ体制が十分ではなく、今年県外から農業を目指してIターンしたのは僅かに3人というのが現状です。その中でインターネットで情報化を進めた山田村は一つの答えを示しているとも言えます。

(インターネットのお陰?)
...ただ僕らみたいな町のもんが、あの、いきなり、こう、田舎(と言ったら失礼ですけれども)、農村、畑や田んぼをやっている所にやって来て、こういう機会を得る、っていうことは普通まずあり得ないことですよね。多少そういう気持ちがもうこの位あったとしても、そんなことってなかなかあり得なかったと思うんですけども、山田村はこのインターネットという形で門戸を開いていて下さったもんですから、僕らはそれを見つけて、あの、飛び込んでくることが出来たということで...

将来の夢は?
今は目指すところが...あの、僕たまたま医者なんですけども、「半農半医」ですね。あの、普段は医者しながらでも何とか百姓やっていきたい、と思っている訳ですけれども、あの、子供が独立して自分たちも年とったっていうことで、あんまりきつい仕事をしなくてもすむようになれば、あの、必然的に畑の方に比重を移して、より一層やっていきたいとは思っています。

石橋さんの夢は、ますます広がります。

この I ターンをする人なんですが、実は平成3年まではゼロで、そして平成4年以降も年に1人から3人と、あまり多くないんですね。
この多くない理由なんですが、農村の生活インフラ、そして情報インフラの整備が進んでないことが挙げられそうですけども、今後 I ターンしやすい状況を作ることもこの里山の環境を取り戻すことになると思います。

投稿者 webmaster : 00:50 | コメント (0)

1999年6月 6日

富山テレビ 平成11年6月6日日曜日 午前9時

富山超発見! フォーカス・イン 2


さて、ここは山田村!山田村では現在の電話線をそのまま生かし一般の家庭で利用できる最速のシステム、ISDNが整備されています。そのISDNを利用して、山田村には凡そ400件、90%の世帯にパソコンがあります。今では操作も手慣れたものですが、初めは指導してくれる人が必要でした。その指導者として全国から山田村を訪れたうちの一人が石橋さんです。石橋さんはそれをきっかけに山田村との交流を深め、ついには家族で山田村に移り住むことを決めました。
どうして住むようになったかって言うとやっぱりこのインターネットのねえ、活動を通した村の方と、こう、いろいろふれあいがありまして、一緒に畑をやって、作物を収穫して、という企画があったんですけれども、こういうもんなしにもう村の人たちと交流というのはあり得なかった訳ですから。
インターネットが縁結び...
縁結びになりましたですねえ。
素晴らしいですねえ。
将来はもっともっと高速になる通信技術が物理的距離、人と人との距離まで縮めていくのではないでしょうか。

投稿者 webmaster : 19:35 | コメント (0)

1999年6月 1日

広報 やまだ No.145 平成11年6月号

いで湯の里からこんにちは

石橋 律子
(中村)

自己紹介してください。
山田村へ I ターンして来た新米村民です。よろしくお願いします。URLは、http://www.vill.yamada.toyama.jp/~isibasi
です。
仕事は...?
ずっと専業主婦です。
趣味は...?
音楽を聞くこと、Eメール、それと最近は畑仕事です。
夢、希望は...?
私たちが良い前例となって、I ターンが増えること。
何をしているときが一番充実していますか...?
天気の良い日に家族そろって畑で土いじりをしている時。
当面の目標は(これからしたいことは)...?
野菜づくりの知識を少しでも増やすこと。
ふるさとを紹介してください。
滋賀県の大津市です。日本一大きい湖の琵琶湖があります。
いつ村にこられましたか...?
今年の3月22日に引越してきました。
山田村の印象はいかがです...?
豊かな自然と人情。皆さんに親切にして頂いています。
こちらの生活はいかがですか...?
家族一同楽しんでいます。散歩したり畑仕事をしたりと、本当に良い環境で満足しています。
山田村に望むことは...?
先進的な情報化への取り組みをこれからもどんどん続けて下さい。
広報に望むことは...?
身近な話題をどんどんのせて下さい。

投稿者 webmaster : 19:20 | コメント (0)

1999年5月15日

富山新聞 1999年5月15日 土曜日

電脳山田村に I ターン

東京出身の医師 石橋さん一家が定住第1号

交流が縁、自然にひかれ1戸建て住宅

村の情報化事業が奏効

建築中のマイホームを見ながら、新居での生活を語る石橋さん一家
=山田村中村

山田村に縁もゆかりもなかった東京都出身の医師が同村の電脳交流が縁となって定住を決め、マイホームを建設している。平成7年に地域活性化の一環として情報化事業に乗り出した成果が初の I ターンという形となったもので、人口が減少傾向にあるだけに、村を挙げて歓迎している。

定住を決めたのは石橋修さん(41)の家族。妻律子さん(37)、長男憲一(健一)君(九つ)、長女真紀ちゃん(六つ)と一緒に四月に同村小島の村営住宅(個人住宅)へ引っ越してきた。現在、同村中村で一戸建て住宅を新築中である。
石橋さんは、高岡市内の病院に勤務することになった平成七年までは富山県に縁がなかった。しかし、「電脳村ふれあい祭り」などを通じ、メーリングリスト「mlyamada」のメンバーの呼び掛けで山田村の農園作りに参加し、自然や村民の人柄にひかれて定住を決めた。
石橋さんは「高岡までの通勤時間は車で約30分と便利で、豊かな自然など村での生活を満喫している。新居では庭に畑を作りたい」と夢を語った。山崎吉一村長は「定住の問い合わせは20軒以上あり、定住促進策を一層推進したい」と話している。

投稿者 webmaster : 19:13 | コメント (0)

1999年5月 8日

北日本新聞 1999年5月8日 土曜日

山田村へ初の I ターン家族

電子メールが縁、定住決意

石橋さん一家4人「自然、人情が魅力」

I ターンの縁結びになったパソコンを前に「豊かな自然と厚い人情があるので決めた」と話す石橋律子さん。左は長女の真紀ちゃん
=山田村小島

I ターンしたのは、医師の石橋修さん(41)、律子さん(37)夫婦と子供二人の四人家族。東京生まれの石橋さんは、滋賀県の大学を卒業後、同県生まれの律子さんと結婚。二年半ほどアメリカ・ボストンで生活し、同村に移るまで高岡市に三年半ほど住んでいた。
山田村を知ったのは、大学時代から始めたパソコンの電子メールがきっかけ。一昨年、同村で開かれた「ふれあい祭」で、メーリングリストを基にした農園作業の参加呼び掛けがあり、石橋さんが応募した。その後も同村清水の「ふれあい農園」を訪れ、季節の野菜作りに通っていた。
律子さんもメールで同村中村、自営、小向敏雄さん(52)、悦子さん夫婦らとやりとりしており、「昨年夏ごろ、豊かな自然と厚い人情がある山田村に住もうと主人と決めた」と話す。
一家は同村小島の村営住宅(個人住宅)に仮住まい中で、律子さんは「この住宅も宅地も電子メールで紹介してもらったり、役場に相談に乗ってもらった(こういう事実は無かった)」という。
杉本同村総務課長は「新築住宅に行くには県道から私有地を通って行かなければならないため、村で取り付け道路を建設した。今後も相談に応じる」と積極的な姿勢を見せる。
長男の憲一(健一)君(九つ)と真紀ちゃん(六つ)は四月から山田小学校の四年生と一年生。教育面について律子さんは「これまで習いごとは一切させていない。やる気がなければどこにいても同じだと主人も私も思っている」と話している。
同村の人口は四月末で537世帯、1990人。

投稿者 webmaster : 02:12 | コメント (0)