2010年1月10日
長男の成人式
あけましておめでとうございます。
私たちは平成11年3月22日に山田村へ転居、翌4月に長男と長女がそれぞれ山田小学校の4年生、1年生に転校、入学しました。しかしあれからもうすぐ11年、小学生であった長男がとうとう成人となってしまいました。
月日の経つのは早いですね。
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2005年11月 8日
両親山田へ転入
今日両親がすぐ近所に転居して来ました。
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2005年3月19日
山田村閉村
私達の山田村への道のりは、意外な形で結末を迎えることとなりました。
今年は関西の両親もここ山田地内に家を新築して近所に一緒に住もうとしています。でも... 国策の、この平成の大合併の津波にのまれ、ここ山田村も4月から富山市に併呑されてしまうのです。
今週3月15日は長男が山田村立山田中学校最後の卒業生として卒業。
昨日3月18日は長女が山田村立山田小学校最後の卒業生として卒業。
そして今日、3月19日は閉村式が執り行われました。長男、長女も式中それぞれの役割を果たしたようです。
来月4月からは私達は自動的に富山市民。職場も富山市。富山県は中央部の富山湾岸から岐阜県境まで全部巨大な富山市になってしまいます。とても変ですが、私達はこれからも山田村民の意地とプライドを忘れずに生き続けたい、と思うのでした。
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2004年4月14日
2004年4月14日
長男(山田中学校3年生)が地元の春祭りで獅子舞の新役者に。石橋家が地区の一員として認められたことを実感しました。
今年は多忙のため5年間お手伝いした青空市場スタッフを辞退。残念。
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2002年1月 1日
2002年1月
高岡市内の職場からから山田村により近い八尾町に転職。今まで以上に山田村民のために働けるようになりました。
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2000年1月 1日
1999/2000年冬
年末には家が完成、正月は新築の家で過ごすことが出来ました。
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1999年10月31日
1999年秋
今年は村の青空市場をスタッフとして手伝うようになりました。山の畑ではダイコンやサトイモなどを沢山収穫しました。野菜やイモを実家や親戚に送るようになりました。
3年間お世話になったバイクの傷みが激しく、石橋パパはバイクを新調しました。
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1999年8月21日
1999年夏
今年の夏は記録的な猛暑となりました。この暑い夏、今年もまた全国から若者が集いました。「電脳村ふれあい祭」です。今年は7月31日より8月9日の間開かれました。今年石橋家は「こうりゃく隊」としてサポート側にまわりました。山の畑ではジャガイモを沢山収穫しました。
新築も始まり、8月21日棟上げ式が執り行われました。
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1999年4月30日
1999年春
3月22日、季節外れの吹雪の中ついに私達は山田村に引っ越して来ました。新築は未だこれからで、借屋住いでのスタートです。3月28日に開かれた地元の八幡社の百周年記念祭が丁度石橋家の顔見せとなったのでした。4月には子供達が山田小学校に転校生、新1年生として迎えられました。
5月2日、今年もまた「ふれあい農園」が始まりました。自分達の畑も始めています。
石橋家 I ターンの報道があいついでありました。
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1998年10月18日
1998年秋
当初驚きをもって迎えられた石橋家の山田村移住希望でしたが、親切な村の方達のこと、すぐに私達の希望をかなえるべく行動を開始して下さいました。早くも9月13日に地元建築事務所の棟梁に会って用地の取得につき相談することとなりました。10月10日には宅地がほぼ決定、13日には棟梁から地元地区の住民に石橋家の移入につき紹介がありました。早速10月18日のメーリングリストのオフ会(芋煮会)で、小向氏から参加者に知らされました。
一方、その頃住んでいた高岡のアパートは大家の都合で住み続けられなくなりました。新築はまだまだ先の話なのですが、1ヵ月で出て行けと言います。子供は学期の途中ですし、無理矢理翌年の春まで居座り続けました。翌春は下の子が小学校に新入学です。
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1998年8月12日
1998年夏
「ふれあい農園」での作業も回数を重ね、少し村の方とも打ち解けたように感じられました。谷上氏も少し慣れて下さったようでした。いつも農園のことが気になって、暇さえあれば覗きに来るようになっていました。農園脇の有休地では小さな家庭菜園もこしらえました。村のメーリングリストにも加入し、直接農園でお会いした方達以外にも交流の輪が広がっていきました。山田村の自然や農園が気に入ったことは勿論ですが、村の方達の親切なもてなしが身に染みました。石橋ママは山田村移住計画と口走るようになってきました。
そして8月1日、今年もまた「電脳村ふれあい祭」が始まりました。村の3軒のお宅に、PCお助け隊としてお邪魔しました。農園でのイベントでは、石橋家はもうスタッフ気取りでした。祭の終わった8月9日夜、私達は宿泊していた宿ささみねに谷上氏、小向氏、若林氏をお招きして楽しく談笑しました。本当は山田村移住の希望につき相談したかったのですが... 言い出せずにただただ呑み続けたのでした。
8月12日、私達は山田村移住の希望を3氏に電子メールで伝えました。
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1998年4月29日
1998年春
メーリングリストに谷上氏からふれあい農園の作業の呼びかけメッセージが流れました。4月26日作業予定だが雨になれば29日とあります。26日は仕事が入っていた石橋パパは「26日は雨乞いをしよう」と不謹慎なメッセージを流したところ本当に雨が降ってしまいました。この日晴れたら、石橋家は今頃どうなっていただろう?
何の面識も無い村の方達の集まりにいきなり飛び込むことは勇気の要ることでした。しかし作業日が29日に延びた幸運にも助けられ、石橋パパは家族に29日山田村での農園作業を宣言しました。29日に備え、予め集落を訪ねて谷上邸を確認しました。谷上氏は不在でした。
そして4月29日、農園作業に参加。ふたを開けてみれば集まったのは村の方達ばかりで、呼びかけに応じて村外からやって来たのは私達だけでした。農園のある場所は素晴らしい景観です。今まで畑はおろか庭仕事も殆どしたことの無い私達でしたが、経験の無い農作業が私達には新鮮で快感なのでした。怪しげないでたちの私達に谷上氏はだいぶ不安を抱かれたようですが、陽気な小向氏、谷沢氏らに私達親も子もすっかり遊んで頂きました。家へ帰ると大急ぎで撮ってきた写真を現像し、スキャンして、ホームページに仕立てて公開しました。
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1997年8月30日
1997年夏
オフロードバイクの機動力のおかげで富山県内の山間(やまあい)の様子がよく分かるようになりました。高岡から近いこともあって、山田村にもときどき訪れることがありました。その頃村で「インターネットで世界に発信」のようなノボリを見つけましたが「今どきインターネットがどうした。これだから田舎者は!」と思いました。しかしある日手にした1冊の本、山田村の行進曲はインターネット(倉田勇雄)で、そうした思いは吹き飛ばされました。著者を始め村の方達の熱心な取り組み。読むだけで元気になれる本です。そして全国から学生さん達が集まって7月26日から電脳村ふれあい祭なるものが催されました。中味は何だか分からないけど、山田村と村のインターネットへの取り組みに興味を持った石橋パパは「ふれあい祭」のメーリングリストを見つけて8月1日のイベントに合流することが出来ました。
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1996年8月30日
1996年夏
日本人の体にはやはり日本の湿った空気が合います。私たちは高岡から近場で山や温泉の気持ちの良いところを訪ねるようになりました。夫婦とも両親は関西におり、アメリカへ行く前の仕事の本拠もずっと関西でしたが、富山の風土が随分気に入ってきました。
石橋パパは石橋ママのお許しも得ず、突然中古のオフロードバイクを買ってきてしまいました。
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1995年10月30日
1995年秋
私たちは1993年からアメリカのボストンに住んでいました。美しいボストンの街の暮らしにもそれなりに慣れてきてはいましたが、資金も底を突き疲労も募っていました。日本の母親も弱ってきています。もう引き揚げて日本で働かなければなりません。私たちは美しいアメリカの見納めにカナダ国境に近い White Mountain の Mt. Washingtong を訪れ、それから間もない10月30日、重い足を引きずるようにして帰国して来ました。
縁あってそれまで訪れたことも無かった富山の土地(高岡市)に職を得ることになりました。