赤池神明宮

富山市久郷にある、日枝神社を訪れた。目的は武内宿弥が建立したとされる赤池神明宮を訪ねること。

この日は最初御皇城山皇祖皇太神宮を訪ねた。朝の9時半頃であったろうか。身なりこそ作業服風であったが老夫婦がおられ、夫の方が祠の前のモルタルの上に正座して一心に祈っている。その淀みなく祝詞を唱え続ける様子は一般人などではなく、今この宮を守り続ける神主のような方とお見受けした。とても近寄りがたく、遠くから祠を拝んで皇祖皇太神宮を後にした。
さて、今日は竹内文書を代々守り続けたとされる赤池神明宮を訪ねた。そうは言っても、そもそも現在赤池神明宮という神社は存在しない。まず婦負(ねい)郡神明村は昭和15年9月1日に富山市に編入され消滅している。神明(しんめい)という地名は僅かに小学校や郵便局にその名を留めている。しかし久郷という集落名の方は残っている。また赤池は明治初期の井田川治水工事にて井田川に埋没。文献通りの久郷集落の神社というと今あるのは日枝神社だ(ただし富山で一般に日枝神社といえば山王町にあるいわゆる山王様)。どうやらここが赤池神明宮跡と比定されているようだ。神社を守る人がいなくなり、日枝神社として維持されているのだろうか。
そして神宝を祀ったとされる赤池白龍満堂は?

日枝神社の裏に、それらしい小さなお宮があった。

隙間から無理に間に入り、正面写真を撮るとこんな感じ。
日枝神社の裏にすっぽり隠れて、赤池神明宮の歴史を日枝神社で覆い隠しているようだ。しかし位置関係は白龍満堂が本殿、日枝神社が拝殿と見えなくもない。
最後に羽根神社を訪れた。いずれも呉羽山と神通川の間の狭い範囲にある。位置関係は位置関係はこちら
いかにも他所者らしい私らがウロついていると、近所の御婦人が職務質問にやってきた。どうやら遠方からグループがよく訪ねてくるようだ。きっと今日訪ねたこの3つの神社がコースになっているに違いない。この他二上山、尖り山、天柱石など訪ねるのだろうか。
この羽根神社から西南西 6 km 程にも羽根の地名がある。この間が全て羽根であったことは想像に難くない。今の富山空港は神通川の河川敷にある。着陸する飛行機は、日本海から高度を十分に下げて神通川をなめるように着陸する。もし浮船が神々を乗せて行き来すれば… ああ、神通川だなあ。

コメント

  1. eresse より:

    何だか本当に不思議です。富山、岐阜などはいったいどんな場所だったんでしょうか・・・今度は尖り山か・・・

  2. angrod より:

    例の竹内文書によると、上古第22代天疎日比売身光天疎日比売身光(アマサカリヒニムカイツヒメミヒカルアマツアメノスメラミコト、天照大神)が岐阜県位山の大宮から神通川を川船で下り、呉羽山のふもとの御皇城山(おみじんやま)に遷都とありました。尚その前にも御皇城山には何度も大宮が建設されたとあります。
    今の神通川には船で下るような流量はないのですが。

  3. ヒヨコ より:

    そこから河上に塩とゆう地名の所に、たくひれ神社とゆう所が有ります。その神社も何か関連している見たいですよ!

  4. ヒヨコ より:

    私は月に一回参拝させて頂いて居ます。昔は大きな川で船も行き来出来たのでしょう?久郷の村の方でも80才以上の本当のお年寄りしか知らない見たいです。昔はもっと色々参拝に来られいた見たいです。

  5. angrod より:

    夛久比禮志(たくひれし)神社にも行きましたよ。
    井田川や山田川ではなく神通川沿いです。
    赤池神明宮と関係があるとは知りませんでした。どんな関係なのでしょう。

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