讀賣新聞富山版2001年1月4日木曜日

連載:ITちゃなにけ--山田村うおっちんぐ

(3)移住者呼ぶ メール交流

山田村中村の医師、石橋修さん(43) は、休日には<百姓>になる。

 一九九九年三月、家族四人で村に引っ越して来て以来、理想だった“半農半医”の暮 らしを楽しんでいる。
 「メーリングリストでの交流がなかったら、村に住むことはなか ったでしょうね」
 村の情報化が、初のIターンとして実を結んだ。

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 石橋さんは東京生まれ。妻、律子さん(39)は滋賀県出身。九三年から二年半、 米・ボストンのジョスリン糖尿病センターで研究生活の後、九五年から現在まで高岡市内 の病院に勤務。ここに来る前は同市内に住んでいた。
 オフロードバイクで、ぶらりと村を訪れたことはあったが、情報化は「田舎だから騒がれている」程度にしか思っていなかった。が、村のことが書かれた本を読んで、興味 を持つようになった。
 九七年七月、全国から学生が集まる「電脳村ふれあい祭り」のMLに加わり、祭り に参加。初心者にパソコンを教える「お助け部隊」の一員になった。
 翌九八年春からは、清水地区の農業、谷上健次さん(52)らがMLに呼びかけた 「ふれあい農園」にちょくちょく顔を出すようになった。家族で農作業に汗を流し、作物 の成長を喜んだ。親切な村の人たちの人情もうれしかった。
 人ごみより田舎がいい。子供は自然の中で伸び伸びと育てたい--。夫婦で描いて いた理想の暮らしの扉を、インターネットと、「人情」が開いてくれた。
 移住の希望、住まい探し……。電子メールを通じたやりとりで、村民が温かくサポー トしてくれた。

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 「近所のお年寄りは、野菜作りの先生。子供たちにとっては、みんな自分のおじい ちゃん、おばあちゃんなんです」と石橋さんは笑う。長男の健一君(11)も、「花粉症 が治まったし、友達もいっぱい出来た」と元気だ。
 そんな暮らしに入って一年半。律子さんは、「今はインターネットで買い物も自由 に出来るし、不便な感じはしませんよ」と言う。
 石橋さんは、大好きになった山田村に、自分のように移住する人が増えればいい、 と思っている。でも、こうも思う。
 「村の人間になりきる覚悟は必要。別荘感覚で来るのだけはやめて欲しい」
 作務衣(さむえ)姿が、すっかり板についていた。(柳瀬 裕之)

中央と地方 関係が逆転
 「インターネットが普及すれば、中央と地方の関係が逆転します。過疎地でも仕事や買い物、銀行決済などが都会と同じように出来れるようになり、自然環境や人間性の豊かな田舎に住みたいと考える人が増えるでしょう。都市の文化が地方に入ってくれば、しばらくはあつれきもあるでしょうが、結果的には、村の共同体を活性化することにつながります。現実世界の変容こそが、本当のIT革命です」
@奥野卓司・関西学院大社会学部教授(情報人類学)

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